今朝は、女房と子供の教育やらなんやで、話を
した。
かみさんは、忙しい自営業の家庭の育ち。保育園
に通っていたくちで、僕は、典型的なサラリーマン
家庭で、専業主婦(といっても、母も働いていた
ことはあったが)家庭。いろんな場面で、ちょっと
した違いが出る。仕方ないことだが、どうしても
かみさんも自分も、体調が悪かったり、忙しいとき、
その違いが気になって、声高に反応してしまう
ようだ。


女房は、教育モデルを、教育の大家が書いた「本」
に求め、僕は、親と子の関わり方で、求めて
しまう違いがある。


女房は「この本に(教育の大家)こうこう書いて
あるが、うちの子供はそうではない。」「保育園や
小学校の先生は、うちの子供をこう見てて、ここが
ダメだからここを直せ、と言っている。」と、よく
僕に言う。「教育のあるべき姿はコレ」「家庭の
あるべき姿はコレ」と、いうんだけど、僕なんか
さいころは親に、人様の迷惑になる様な人間に
なるなって、まず言われてただけなんだよね。
そして、3〜4歳から中学校卒業する頃までは
本当に、楽しい思い出しかない。(その後は苦労
したが・・・)遊びまくっていたから。


よく、3つ児の魂は百まで、云々っていうけど、
3歳で他の子供より遅れていたり、7歳で他の
子と違っていたり、10歳でちょっと他の子と
違うって言っても、僕は、だからどうなの?って
思ってしまう。


その子の気質とか、鉄は熱いうちに打て!とか
言ってみたって、子供のアイデンティティが出来
るのは、決して小学校や中学校じゃないよ。
20歳前後じゃないの。厳しくしかるより、子供
たちが若い頃は、せいぜい遊んだほうがいいと、
僕は思っている。


幼稚園(保育園)、小学校や中学校の先生に、
人と違っているって言われたって、100人
いれば100人違った見方をすると思うけど。
型にはめ込むのは簡単だけど・・・・・。


何か悪いことをした子供の家庭がこうだった、
とか、物事を一般化したがる人が多すぎるのだ。
同じような環境に育っても、一方は警察に御
厄介になり、一方は警察になる。20歳までに
悪いことしたら親の責任だけど、20歳以降を
自分のガッツで行ききれる人生にしてやるのが
親の責任だ、と思ってる。子供のときは、貧しく
ても、思い出があったほうがいいのだ。

ガツガツ常識や勉強を詰め込むのには反対票を投じる。