昨日の夜730から、NHK関東版で、介護について
放送があった。いま、介護の漫画や小説等がブームで、
よく売れているらしい。
若者に共感を呼んでいるらしい。



しかし、番組の中では、主に、介護者と非介護者の関係
のみ強調して、昔とは違う今の介護を、説明できなかった
感じは残る。



20年前30年前、我々(45歳以上)の母親が、若い
頃、我々の祖父母を介護していた時は、比較的短期間で
すんでいたのである。(介護が早く終わってよかった
というのはブラックユーモアではない)
以前この日記でも書いたが、昔は医療機器や薬で、
延命させる手段がなかったので、1990年前半の資料では、
ご老人が何らかの原因で(脳梗塞心筋梗塞・癌)倒れ、
お亡くなりになるまで、半年〜1年という統計があった。
昨今では、医療の進歩で、半年〜1年という統計は、
あてはまらないだろう。



何を言いたいかというと、年を召して介護状態になられる
方々にも、歴然と「格差」があるという事。



よく自分の女房と話すが、女房の叔父(義父の弟)は、
引退した国家官僚で、年金は下手なサラリーマンより
もらう。僕の親父も、昭和一桁生まれで、大企業一筋、
それなりの年金はもらう。いっちゃなんだが、こういう
方々には介護をしましょうという取り巻きは、大勢いるん
だよね。
問題は、女房の父(故人)母(生存)のように、年金を
さほど手厚くもらえない方々なんだ。このような人達には
親戚もよらないし、子供達ですら会うのも遠慮がちだ。



なんで年取っても「格差」があるの?って若い人には
聞かれそうだが、それが、資本主義の終末像なんだよね。
自分は、共産主義社会主義も知らないが、それらの
社会思想の重要な部分は、リタイヤ後の生活なんだよね。
そのために、所得税や消費税をいっぱいとるよ、っていう
思想だから。社会主義は死んだが、その遺産とも言える
老後の保障が、ソ連近くのスゥエーデンで残っている。



何度もこの日記で書いたが、日本のお涙ちょうだい的介護
や、アメリカの弱肉強食的介護では、なんの解決にもなら
ない。



若いときの税金は、老後の保障として役立てられる社会
システムに変えるべきなのだ。



結論を言えば、介護をしたいと思う老人の介護をして
いるのではなく、ほとんどの人は、介護をしたくない
と思う老人の介護をしているのである。
ここに、介護の
深い闇があるのだ。個人で解決できる問題ではなく、
社会的コンセンサスの問題である。社会が主導して
変えていく。尊厳死についても同じだ。