いじめを苦にして、自殺する中高生のニュースがあとをたたない。自分に翻ってみて、30年前40年前に、「いじめ」がなかったか?というと、答えはノーで、しっかりあった。じゃあ昔との違いは?と考えてみると、昔(30、40年前)は、いじめられても表には出ず、今より水面下で、いじめが進行していた。また、いじめにあった側の選択肢は、やりかえすか、我慢するかしか、なかった。「バックトウザ・フューチャーⅠ」で、マイケルJフォックスが、30年前の過去にタイムスリップすると、自分の父親が高校生で、いじめにあっていた。(それが原因で、今も父親はビフにいじめられてる) 息子は、過去の世界で、父親にビフと対決する様に諭す。結末はハッピーエンドで、父親はビフをぶん殴り、父親の運命はそこから変わる。息子が今の世界にタイムスリップし戻ると、父親はビフを使用人として下働きさせてるオマケつき。いかにもアメリカらしい結末だ。何をいいたいか?というと、洋の東西を問わず、いじめは存在し、いじめられてる当人が、どのように打開するかにかかっている。政府学校親が、はっぱをかけるより、当人がどう打開するか、だけだなのだ。ただ、いじめを黙認するつもりは全然ないが