自由と代償

今日は接待で夜中まで呑み食い。午前2時頃、終了。 自分にとって、自由とは何か?って聞かれれば、好きな本が読める、ネットで好きな情報を(世界から)取れる、銀行証券で自由にお金を(世界的に)動かせる、こんな所だろう。人生の入り口と出口では社会主義的発想、青年期壮年期では自由主義的発想が必要。少子化・高齢化・介護・年金等の問題と、経済的問題・ニートフリーター問題は、違った発想が必要だ。 共産主義的発想で、あれもこれもダメ、ネットのアクセスも規制有、っていうんじゃ、自由であれば、まだ格差社会がいいっていう事になる。 自由主義社会主義の上手なバランスが必要だ。またフランスや米国の様な多民族国家の知恵(移民)を拝借して、少子化等を解決すべきだろう。 エネルギー問題も、地球環境を考えて、通勤に自転車を使う人間はいない。同じ様に、国家のために子供を生む女性はいない。どうすればいいか?簡単だ。経済金融情報等以外の少子化介護年金環境問題等は、ある程度、国家的な主導(指導や犠牲)が必要なのだ。 人生の入り口と出口は、国家の責任だ。税金は集中的に入り口と出口に使う。我々もその部分の税金はちゃんと支払うべきだ。