デフレ化、日本化。

世界では、デフレや経済停滞の同義語として日本化と表現するのがトレンドだ。1970年代のイギリス病と似た響きである。 経済停滞の事はさておき、ジャパンアズナンバーワンともてはやされた1980年代が、一般的な日本人にとって、そんなにいい時代だったのか?自分は、いつも今と1980年代を比べて、今のほうが全然便利だけどって思う。 1980年代の半ばまでアメリカの大学に留学していて、日本に帰って来たが、当時の日本の悲劇は人口過密、と外国に揶揄されていたね。当時は、GDPで世界2位となり、アメリカの不動産を買いまくっていた日本にバッシングの嵐なんだが、当時のアメリカ人自身、日本を知らない人間が多くいた。日本をけなしたり誉めたりするのは、文化についてでなく、トヨタの車だけ。いち日本人留学生として、日本人メジャーリーガーが一人でもいてくれれば、日本へのバッシングも和らぐのにね、とか思ったり。アジア系留学生自体が少なかったので、台湾チャイニーズ、香港チャイニーズは本当に友達だったね。よくチャイナタウンで、彼らと飯を食べました。大陸じゃない中国系留学生には、良い印象しかなかったね。話しがズレたが、当時の日本。今に比べて、不便な国でした。何せATMは出たばかり、金曜の5時には閉まる。お金は銀行印を持って銀行におろしに行く時代。当時のアメリカでは、銀行間の互換性のあるガードはあたり前。土日でもお金を引き出せていました。1980年代のバブルに戻りたいのは企業であって、個人的に戻りたいとは思わない。いまはパートなど非正社員の過労が問題だが、当時は一部上場企業の社員の過労死が問題だった。当時を懐かしんだり、昔を美化する前に、当時の日本が抱えてた(今は克服)問題を語るべきだろう。 今の様に個人が余裕を感じる時代ではなかったのだ。いくぶん全体主義的で、企業の方向性と違う人間を許さない時代だったと、明記すべきだろう。アメリカとヨーロッパは、全体主義的な日本の企業社会を批判していた。企業は没落したかもしれないが、日本人の個が認められているのが今なのだ。だから、日本文化が世界に根をおろし始めたのだ。1980年代始めのアメリカでは、寿司を食べるアメリカ人は変人扱いされていた。隔世のかんがある。日本人の個が尊ばれる時代。このクールなトレンドを全体主義で壊してはならない。企業は多国籍化した。企業の利益が一般日本人の利益には直結しない時代なのだ。一般日本人が潤いたければ、日本社会を多国籍化させるしか、ない。その決断を国民レベルでする時期が、もう間近に迫っている。開国とは貿易品が頭の上を行き来する事ではない。第2の開国とは、国民レベル、人の交流の話しだ。中国系日本人が増えれば、中国に対する安全保障の心配が減る、という理屈だ。移民の受け入れは1980年代バブルの時代から騒いでいた問題だがね。表紙(TPP)を替えても中身(人間)を替えなければ、問題は先送りになるだけだ。 デフレ化の処方薬は経済ではない。キーは人間の交流だ。日本に他国の人間を引き入れること。これがキーになる。