楽天の新入社員入社式のニュースをNHKで見た。

三木谷社長の挨拶は英語であった。楽天は社内
公用語が英語だという。


面白いのは新入社員にインタビューしていたが、
外国人の新入社員(約3割)は、流暢な日本語で
答えていたことだ。という事は、彼ら外国人新入社員
は、トライリンガルということだな(笑)


米英人は、バイリンガルか・・・英語と日本語

アジア人、例えば中国人はトライリンガル・・・
            ・・・英語・日本語・中国語



先日、マカオに行った際、通訳してた中国人は、「私は
トライリンガル」と言ってたな・・・・・
     ・・・・・広東語・北京語・日本語

これもトライリンガルになるのかね(笑)



ヤフーの今朝のニュースにTOEIC900点以上取ったが、
全然英語がしゃべれない・・・・・という話題が
あったが、TOEICで点数を取れれば、米英で、意思疎通が
出来るのは間違いだろう。しかし、TOEICの点数が低い
人より上達の度合いは早いだろう。



語学には旬があるから、仕方が無いのだ。自分は20歳
過ぎてから米国の大学に行ったので英語には苦労した。
しかし、同じ大学に入学していた友人は高校から留学
していたので、ほとんど当時はネイティブ並みの英語力
だった。彼は今でも友人だが、彼が日本に帰ってきて日本の
企業に就職してからは、漢字とか日本の小説とか読んで、
日本語力を普通の大卒並にする努力は大変だったらしい。



あの当時(1970年代〜80年代末)は、日本は外に向いてた
時代で、留学生も多かったし、企業で海外に駐在する社員
も多かった。リスクを取って、外に行く時代だった。



今はどうなのか?と考えると、国家や企業、学校単位で
海外に飛躍しよう(製品を輸出しよう、人を駐在させよう)
という発想は、ちょっと違うような気がする。



1980年当時、シアトルにイチローがいれば、アメリカ人
に映る日本人の印象は、全然違っていただろう。当時、イギリス
に香川選手がいれば、日本人の印象は、全然違っていただろう。
当時は、日本経済は破竹の勢いだったが、欧米人に日本は、
個々の会社というイメージしかなく、個人のイメージ(個性)は
全くなかった。時に、日本好きのマニアックな欧米人はいたが、
圧倒的に少数派だった。



今は、日本の個性という部分に惹かれる欧米人が多いと思う。
「野球」という日本の漠然とした文化を語らず、「野茂」
イチロー」「松井」で事が足りる。そういった個性は
スポーツに限らず、日本のポップカルチャー,マンガ、
アニメ、そこに付随した音楽など、1980年代とは
大違いだ。



いまさら英語でもないとは思うが・・・・・集団としての
日本人という意識は80年代より圧倒的に希薄になっている。
311以降、マスコミでは「絆」、日本人の復活と
称してみても、今年の新入社員を見れば、1980年代に
戻れ、とは言えまい(笑)。



中国では大学留学はもちろん、政府・企業幹部の子弟は
高校から欧米に留学している。そこには、本国に戻っても
住みにくい実情があるからだ。1980年代日本がGNP
世界第二位になっても、個人の豊かさは圧倒的に欧米の
後塵を拝しており、ただお金があれば、定年後でも欧米
で余生を迎える方が楽だったのだ。今はどうなのだろう?




日本は先進国で、中国韓国インドはまだ、中進国くらいで、
社会のインフラや制度は圧倒的に遅れている。お金があれ
ば、英語を勉強して欧米に住みたい、移住したいと考え
るのは至極当然なのだ。




第2次大戦前、日本人は大挙して、アメリカやブラジルに
移住した。
今の、中国人・インド人と同じ感覚だったのだ。



話が長くなったが、今の若者にリスクを取って、英語を
勉強して、留学せよ、駐在せよ、移住せよというのは
ちと、ずれた感覚のような気がするんだが・・・・



もちろん英語ができるのはすばらしい事だが(英語も
必要だが)、もっと大切なのは英語で何を伝えるのか、
だからね。通訳者と翻訳者の養成を、国家をあげて
血眼になってもしょうがない。



英語の前に、故黒澤明監督やイチロー選手、こういった
国際的にも通用する人材を生み出す国に変えていく。


日本は発信力が足りないので、その入口の部分で、
(発信力養成のために)英語を習うことには大賛成だけ
どね。