アエラの今月号を本屋で斜め読み。
おもしろかった。特に、「家庭力」とかいう
記事である。


学校は、ある意味、教育全般・躾全般を
親に(特に母親に)丸投げしてしまう傾向が
昨今は一段と加速化してるようだ。


共働きで、子供を学童・塾で見てもらっている
母親は、子供のいたらなさを、母親一人で
背負い込んでいる傾向があるようだ。
旦那からは、「俺は、だから、学童や塾に
預けっぱなしは嫌なんだ」とか、
責められるようだ。また、都市部では、
公立高校の地盤沈下が激しく(例外的に
日比谷高校や西高などもあるが)、
子供をできれば小学校から、悪くても
中学校から、私立に行かせたがるようだ。


都会出身(東京出身)じゃない母親で、
地方の公立高校から有名大に行った人に
とっては、「何もそこまでして、私立に
行かなくても・・・」
と思い、周囲との軋轢も多いと記事に
あった。


僕から言わせれば、どちらも正しいんだよ
ね。ただ、育ってきた(刷り込まれてきた)
環境・考え方を変えるのは難しい。


アエラの記事の最後に、こんなことが書いて
あった。「いくら一流大学、上流社会
にいっても、何から何まで親がかりの
人間になってしまっては・・・・」


昔、週刊誌で読んだが、今の大学生には、
学校の宿題まで、親に見てもらい、
あげくの果てに、大学の教務課への
電話連絡など、全て、親に手伝ってもらう
学生もいるらしい。驚きだ。


昨日の日経新聞(朝刊)にも、
ベビーシッターの供給が、都市部では
圧倒的に不足しているらしい、との事。
ベビーシッターに頼むという行為は、
非常にアメリカ的で、核家族的で、
「じいちゃん・ばあちゃんに頼めない、
頼まない」という裏づけだが、
驚くのは、高校生にベビーシッターを
頼んだ親が出てきた事だ。いくら
何でも、高校生にベビーシッターは
ないだろう?アメリカなら、小遣い
稼ぎに、高校生はベビーシッターを
やる側ではないのだろうか?


子供を思う気持ちは親として当然で、
同感できるが、行き過ぎは、子供の
力、ひいては国の力をそぐ事に
ならないか?


さっきの「アエラ」の記事でも、
母親に全部まかせっきり、というのも
変で、昔は、地域社会生活の中で
他人が、子供達を教育し、躾けた部分も
多かったのだ、と書いてあった。
その通りである。地域社会生活が
やってた部分まで母親に押し付けるのは、
いかがなものか?


僕はこの日記で、地域社会活動に借り出
される「メンドクササ」を書いてきたが、
よく考えて見れば、そういう地域はまだ
正常な(昔気質な)機能が働いているの
かもしれない。


今になって(今更)地域社会の活動が、
子供の教育には大切だって言うなら、
今までなぜ地域社会活動を、根こそぎ
捨てて来たのか?と、問いたい。
(ただ少子化・高齢化で、コミュニティ
が、崩壊している事実は認めます)


どこの難しい大学にどうやって入るか?
っていうのは、それ程、人生の諸処の
問題の解決にはなっていないんだよね。

むしろ子供を教育する場面で、義侠心を
持たせたり、道徳観念を植え付けたり、
思いやりの気持ちをもたせたり・・・・
それが一番難しいんじゃないの?



戦後60年、ある意味、日本はアメリカの
後追いできていて、経済やファッションなど
それなりに似通ってきてはいるが、まだ、
アメリカの本当にいい所と厳しいところは
まねてはいない。まだまだ先は長いという
事だね。中途半端に真似て日本のよい所を
失わないようにしないとね。今更、地域
社会活動がない、なんて騒ぐなら・・・・・