10数年前、女房と新婚旅行でハワイに行ったが、
それ以来、カミサンは海外旅行に行ってない。


女房は両親の介護で、それこそ、ここ10年は拘束
(変な表現ですが)されていて、旅行どころでは
ない。義母は頭は、ほどほどにしっかりしている
が、自分ではインシュリン注射(糖尿病性腎症)は
打てない。


女房は、東京では英語力で多少知られた三鷹の大学
(ICU)を出ていて、彼女の友人も世界的に
(といっても英語圏)活躍している方々が多く
いらっしゃるようだ。どうしても、そういった方々
と、今の自分を比べて、落ち込むことがあるようだ。
大手証券会社に勤務してた頃は、結構、アメリカや
ヨーロッパへの出張があったらしい。自費でも、
2〜3回ヨーロッパとアメリカに行ってたらしい


彼女も、子供たちへの母親の役と、老いた両親の
(義父は3年前他界)介護で、若い頃の気分に
なかなかもどれない、みたいだ。10年前の選択
を、いまさらぐちゃぐちゃ言ったって始まらない
が、両親の介護をしないという選択もあったろう。
(土地を引き換えに施設へ預けるという選択だが)
そうなって、後で、「両親に何もしてやれなかった
」と後悔するより、選択した介護というものが
正しかったと、納得するしかない。


ちょっと話がずれてしまった。
女房には辛口だが、それなりにいい大学を出て、
いい環境で英語を習い、TOEIC的には僕
よりいい点数の彼女だが、こと生活に根ざした
英語、アメリカ・イギリスに戻りたいか?という
と、僕のほうがその感覚は圧倒的に勝っている。
自分がアメリカで生活してたのは既に20歳を
超えた25年以上前の話だが、生活観という一点
で、「帰りたい」という思いは強い。


アメリカの大学を卒業して、アメリカ・ハワイ
に行けたのは出張を含んで2回程だが、
あちらの空港で、「かえりたくねェなぁ〜」
って思ってたね。


自分の中にある望郷っていうのがアメリカじゃ
困るけど、若いときに留学してて本気でかの地で
生活してたら、あちらに望郷の念が全くない
ほうが、僕には信じられません。


長くなったが、カミさんは日本受験論的には、
TOEIC点数論的には僕より、英語力がある
かもしれない。
25年前、日本の上智国語学部からアメリ
カ来てた留学生(彼は帰国子女組み)が、
アムトラックで、英語がバス運転手に通じない
日本人男性を見かけ通訳したと、言ってたな。
彼の言うには「その日本人誰だったと思う?
お茶○×○大の英語の先生だってさ。信じ
られねェよ」。


この手の話はよくある話で、生活に根ざした
英語の取得にまず手間取るっていう事です。
上記の大学の先生は、切れない英語を使って
ただけで、もともと語彙はあるんだから、
1年もたてば深みのある英語をしゃべった
はず。問題は、米国英国に何年もいる前に
日本に戻らなきゃ行けない事情が発生(経済
・任期的に)して、かの地に「望郷の念」を
抱く前に帰ってしまうことなんです。でも、
小学校や中学校から、20歳を過ぎるまで
かの地にいたら、「望郷の念」ではなく、
かの地の人間と、本人が錯覚してしまう、
アイデンティ危機を、抱えることになる。


自分の子供たちが、どうしても留学したいと
いうなら、経済問題をクリアしたと仮定す
れば、「20歳を超えてから、日本の大学
に入り休学して行くか、大学院留学にしろ。」
と言う。そして「親の金使って行くんだから
、卒業するか、食える資格の一つでも取って
こい」と。


ともかく、根無し草になっては困るのだ。