中国との戦争

日本の有史以来、大陸とは大きな戦争を5回やっている。 新しい順で、1、日中戦争1930年代 2、日清戦争1895年。3、豊臣秀吉朝鮮出兵1590年頃 4、元寇1230年頃 5、百済白村江(はくすきのえ)の戦い660年頃 1は、主に蒋介石の国民党と大陸で戦争(敗戦)。 2は中華民国と大陸で戦争(戦勝)。 3は明朝と朝鮮で戦争(敗戦)。 4は元と日本で戦争(戦勝)。 5は唐と朝鮮で戦争(敗戦)。
両国民を広範囲に巻き込んだの(侵略戦争)は、1の日中戦争と4の元寇で、235は両国の軍事力の強い行為、権益確保の強い行為、と言える。3を侵略戦争と定義するのは間違いではないが、豊臣秀吉個人の妄想のため、偶発発生した事件であろう。加藤清正小西行長の10万の日本軍は、20万を越える明軍に中朝国境付近で大敗し、ほうほうのていで日本に逃げ帰っている。5は、滅亡した百済の要請で、倭(日本)が3万の兵士と300隻以上の海軍を朝鮮半島西岸に送ったが、唐の海軍により全滅している。倭の国に逃げ帰った兵士はいなかった、との事だ。倭(日本)の兵士は、九州四国瀬戸内地方の豪族が主で、近畿や関東(当時は未開の地)の兵士はいなかった、という。 「結構、戦争してるな」じゃなくて、戦争しない場合、400年間くらいは、大陸と仲良くやっているのだ。 中共は、国営テレビで、中秋節の休み(10月上旬)に、故野坂昭如氏の「蛍火の墓」を放映したらしい。ストーリーは、太平洋戦争末期の兄弟(兄と妹)の悲劇を描いている。主人公の兄は、野坂昭如氏と言われている。詳しくは、映画をビデオDVDで見て下さい。 中共の国営テレビで、故郷に国民が帰るこの時期に、この映画を放映したという事は、人民の愛国心を煽りデモ誘導するだけではない、何かが、中共の内部にある、という事だ。こういった細かい事の分析を特殊機関に任せるのだ。日本は、戦前の思想統制や諜報活動に懲りて、戦後は中共に対するロビー活動を一切怠った。戦前の様に、李(香蘭)、川嶋(芳子)、大島奉天特務機関大佐(東京裁判で死刑)、甘粕大佐(満映監督)等々、大陸での諜報活動するスパイを送り込め、とは言わない。経済人、大陸進出企業だけに情報収集させたところで、出てくるのは自分達に都合のよい理屈だけだ。独立した機関をもうけ(米CIAの様に) 、彼らに諜報活動をさせるべきだ。できれば、中共反日抗日活動を、親日に替えるプロパガンダ活動まで推し進める。ここまで、やるべきだ。マスコミや経済人に頼るのではなく、政府が税金を使い、諜報機関を作らなければならない。 中共プロパガンダ活動(反日抗日)を指をくわえて見過ごす日本政府の鈍感さに呆れる。 1の日中戦争の賠償保障はまだだと、中共人民が言うなら、4の元寇で被害を受けた九州北部の住民に対する保障は終わってはいない。当時の日本が元寇から受けた物質被害と精神的被害は尋常ではなかったのだ。 自分は九州北部に親戚が多いが、いまだに元の残忍性を子供や孫に伝えている。中共が元(モンゴル)とは一線を画すと言うなら、何故、内蒙古を占領するのか?モンゴルに返すべきではないか? どちらにしても、過去の戦争賠償や謝罪は、道義的な意味合いを越えることはない。660年の百済救済で倭(日本)が払った代償を韓国に請求して、一体何になると言うのか。100年以上経ってぶり返したところで、当事者は亡くなり、残るのはその子孫でしかない。賠償権利は相続対象になるか否か、法廷で決めるしかない。そんなもん始めから請求なぞ、出来るわけがない。戦争に対する責任は、当事者間でない場合、道義的責任の域を出ないのだ。犯罪者の子供が、その責めを負わない事と同じなのだ。謝罪行為は感情移入の域を出ないのは、この理屈からなのだ。