田中上奏文

昨日11時過ぎNHKの教育を見てたら、「田中上奏文」という史実を初めて知った。
この「田中上奏文」は、昭和初期の時の田中総理(角栄ではない)が、昭和天皇に上奏した秘密文書で、「世界を征服するならまず、中国を征服せよ」という上奏文。実際、田中首相昭和天皇に上奏したか否かはわからない、らしい。
日本軍部が満州に侵攻し満州国を建国した時、広く一般の中国人達に、偽の「田中上奏文」が流布流通されていたらしい。
当時英国リットン調査団が、満州、中国本土、日本本土と 周り出した結果は、思いの外、日本に好意的な内容で、満州自治区満州人の自治国を造るのを容認し、日本の満州権益も認めるものだった。しかし当時(1920年代後半〜1930年前半)は、このリットン卿の裁定を呑む余地は日本政府になかった。満州の地は、日清、日露戦争で先輩達が血であがない、獲得した権益だったからだ。
そこから国際連盟の勧告に至る。満州国から日本は全ての権益を放棄するという、勧告だ。リットン卿の裁定より厳しいものとなる。そして松岡外相の有名な国際連盟脱退演説、日本は孤立化し、独伊と枢軸へと繋がる。

歴史にはIFはないが、リットン卿の裁定を受け入れていれば、当時常任理事国だった日本が国際連盟を脱退することもなかっただろう。松岡外相は戦後、A級戦犯巣鴨拘置所で刑を待たずに病死している。松岡外相は高橋是清首相の様に苦学してアメリカ加州の大学を卒業し、当時としては珍しい欧米を知り語学の出来る外相だったが、どこで階段を昇りまちがえたか、病死しなければ間違いなく絞首刑だったろう。

今の中国も当時の日本と似ていて、拡大主義である。しかし当時の日本と違うのは、中国はもともと多民族国家で、拡張主義を内政問題の世論転換に使うことである。一目散に世論が一枚岩にはならない特徴がある。

解説者が、国際連盟内の会談で中国政府(国民党)が、「田中上奏文」の真偽より、今日本が満州にやっている事が則ち「田中上奏文」通りの行為であると国連に訴え、その情報を予測し得なかった日本政府。情報戦に負けたのだと言っていた。

自分はこのNHKの結論(情報戦に負けたのだ)には違和感がある。松岡外相が些末な「田中上奏文」の真偽だけに拘っていたとはとても思えない。しかも、満州事変からかなり経ち、既に満州国皇帝まで日本が作ってしまった時代である。満州国を諦めることは則ち、ロシアや清から割譲された旅順や大連まで放棄するのと同義だろう。松岡外相が国際連盟の裁定を受け入れたら、日本に帰国して暗殺されていただろう。

事ここに至るまで(満州国など建国する前)に、日本の国内世論を醸成(中国の権益をどこまで譲るか)すべきだったのだ。同じ中国本土に権益をもつ英国やロシアと頻繁に間接統治法について連携を取るべきだったのだ。うまくやれば、香港のように、旅順や大連も20世紀中は日本に権益があったかもしれない。

戦禍を交え国土を蹂躙した満州に、一枚の「田中上奏文」の真偽でもなかろう。満州国を建国した時点で日本政府は「やりすぎ」で中国本土の他の権益は失われていたのだ。中国の国民感情から言ってだが。満州国を建国した時点で、中国人レジスタンスの決起を促したにすぎないのだ。
英国の様に統治すれど直接手足を出さない統治。これを学んでいれば、中国本土に限らず、世界中に日本の権益はあったはずである。

尖閣諸島もまず、経済ありきで、ある程度中国に尖閣諸島での権益を与えれば、違うところで、日本に恩恵があるだろう。北方領土もまず2島返還、ロシアと共同開発すれば、当事者以外の国は入れないのだ。ボツダム宣言を受諾した日本。解釈によっては沖縄諸島、南西諸島、小笠原諸島も外国領でもおかしくはない。資源が埋蔵されている尖閣諸島北方領土が半分日本領になっただけでも、日本の外交的勝利と明治時代の政治家は言うだろう。

軍事力だけにらみあう尖閣諸島北方領土は、経済的に無価値である。
歴史的に見て、ここは我が国の領土と、日本も中国も韓国もよく言う。イタリアが、歴史的に見て「ここは我が国の領土。ローマ帝国の領土」と言うのはトント聞かない。領土と歴史をからめても不毛な議論になるだけだ。
共同開発をすることだ。あるいは英国のように51%の権益をとり、残りは彼らに開発させることだ。領土問題に個人のナショナリズムを持ち込んでも解決しない。経済優先で考えるべきであろう。