責任はトップが取れ

第二次大戦後しばらくは、日本人にも侍がいた。戦争の責任、あるいは、違う意味合いで、死をもってその責任を果たそうとしたからだ。 死をもって償えとは、今では古すぎて言えない台詞だが、じゃあ、今はどうなの?って、思う。
ゴルフ仲間の知り合いが東電の社員だが、来月から福島原発近辺に派遣されるらしい。単身赴任だ。定年間際の単身赴任は、しんどいたろな。仕事内容も聞いたが、いろいろ面倒なので、ここではあえて割愛する。

どんな時代も、日本人の場合、責任を取るのはトップじゃない。
東電も、そのまんま、らしい。


東電の福島原発では、震災前にも、何度か事故で止まったことがあったらしい。また、共産党の国会議院に津波などのリスクを、国会で指摘されていた、という。

上↑に対して、一笑にふした当事者と、関係者のトップは、何らかの責任を果たすべきだと思う。
関係者は絶対に責任を取るべきだと思う。


個人が責任を取らないのは日本の悪しき習慣で、個人がみそぎをしない限り、未来も同じミス(原発事故)を必ず繰り返すはずだ。


京の市中を引き回しにして、九条で打ち首、とまでは言わないが、自分のやってしまった間違い(罪)の責任は絶対取るべきだ。東電のやってしまったことは、「どこにでもある、ちょっとした間違い」ではない。

部下を特攻隊にして腹を切らしてはならない。
トップが出てきて、潔く、腹を切れ。