28年前の4月17日

1985年の昨日は甲子園球場で、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発があった日だったらしい。


もう28年もたったのか…。


槇原投手はまだ2年目か3年目で、ティーンエイジャーの若者。


この年、阪神は日本一になる。相手は西武ライオンズで、清原選手はまだ入団してなかったと思う。


自分は、バース選手の7試合連続ホームランを後楽園で実際見たが、確かそのタイ記録は、翌年か翌々年で、江川投手から打ったと思う。桑田投手が投げていたので、1986年か87年あたりか……。


巨人は江川、西本投手が晩年にさしかかり、槇原、斎藤、桑田投手が出てきて世代交代に成功するが、
阪神はバース・掛布・岡田の3連発がピークだった。特に掛布選手はその翌年の手首のデッドボールが致命傷で、考えてみると1985年がピークの晩年で、1985年を越える成績はあげられなかった。


1985年の日本シリーズは、関東人も阪神を応援してたね。広岡西武に原・中畑巨人が何度も負けて、阪神判官びいき状態だった。
覚えてるが、長崎選手のホームランが広岡西武に引導を渡したな。


西武はこのあと森監督になり、巨人はさらにヒドイ目にあうのだが(笑)。1980年前半から10年間は、斎藤・槇原・桑田投手3本柱でも歯がたたない。槇原投手は、西武にはいい投球したが、斎藤・桑田の両投手は西武によく打たれてたな。結局、第二次長島監督時代にようやく西武に溜飲をさげる。外様の落合選手とゴジラ松井選手により、ようやく巨人の復讐が成就するが(笑)


1980〜93年くらいの西武は憎らしいくらい強かったな。巨人が西武に勝って日本一になった前年かその前の年に、野村ヤクルトが初めてセ・リーグとして森西武に勝ったはず。古田・池山・広沢・岡林・石井投手らの活躍があった。

西武は秋山、清原、デストラーデ選手。投手陣は工藤、渡辺久、郭。セ・リーグが打てなかったのは渡辺とみお投手。 あの当時は交流戦フリーエージェントプレーオフもなし。

日本シリーズで負けると 公式戦の何かもを失う感じで、斎藤投手や桑田投手は戦犯扱いされて、気の毒だった。


まぁ、森監督の西武は憎らしいくらい強かっな。
日本シリーズが今より重くて、始まる前からワクワクする時代だったね。


監督のレベルで見ると、三原・川上・森・広岡・野村は名将のレベル。長島、王、原、落合監督はその下のレベル。
WBCは名将にまかせておけば、選手が誰でも構わない。


もちろん現役時代の監督の話で、引退した森監督や野村監督を担ぎ上げても仕方ない。


次回は、現役の落合監督か原監督に任すべきだろう。