ヨーロッパには一度も行ったことがないが、
イタリア(と、ギリシャ・英国)には是非一度は
訪れたいと思っている。



先日、NHKのBSで、BBC制作のベスビオス火山噴火の
歴史ドキュメンタリーがあった。BBC放送は、「見て
きたかのような」ドキュメンタリーを作っていた。
最近では、ユーチューブにもアップされているので、
自分は特に、放送を録画はしていない。



ベスビオス火山噴火時のポンペイは、ローマ帝国
全盛時。ローマは、カエサル時代より、アウグスツス
時代の方が、繁栄をきわめて、全ての世界の富が
ローマ帝国に集中していたらしい。



火山噴火の前に、何度も大きな地震ポンペイ
襲って、嫌気がさして逃げ出す商人もいたという。
しかし、大部分の市民は、いつもの地震と受け止め、
まさか、ベスビオス火山が噴火するとは夢にも
思わなかった。この火山が大きな噴火を起こし
たのは、この、紀元1世紀が有史以来初めてで、
まさかこんな活火山だったとは、誰も知る由も
なかった。



この放送では、大噴火が始まったのは午前中で、
その夜には、火山灰が2m近く積もったと。
そして、ポンペイを逃げようとした市民で、街の
出口でごった返して、出口付近で亡くなった住民
も多かったという。



面白かったのは、ある豪邸の地下に50体以上の
人骨がほとんど無傷で残っていたといい、この
ミステリーを解説していたことだ。どうやら、
街から逃げるのを諦めて、豪族の地下室に、
一族郎党が身を寄せて、火山の噴火をやり過ご
そうと、したらしい。その豪族と妻は、金銀銅の
装飾品を身につけていたらしく、人骨が緑色に
変色して、金属反応を起こしていたという。




ポンペイの住民はほとんど、火山灰に埋もれて、
火山灰で亡くなっていたが、この地下室の住民
は、地上から侵入してきた毒ガス(硫化窒素)
を吸って亡くなっていたらしい。何故解るのか?
というと、熱で亡くなった場合、もっと筋肉が
硬直して、骨の傷み具合が激しいのだが、この
地下室の住民にはそれがなかったからだ、と言う。




ポンペイは、ハーキュリーズよりベスビオス火山
からは遠かった(60kmくらい)が、30km
の近さにあるハーキュリーの住民はほとんど街の
脱出に成功していた。火山爆発時の風向きが、
この2つの街の運命を変えたという。
英語で火砕流は、pyroclastic flow というらしい。
この火砕流は、普賢岳噴火でも40名の命を奪った
が、時速100kmで火口から熱流が押し寄せる。
温度は500度〜数千度にもなるという。この火砕流
ポンペイの街を襲ったのは、ひと通り火山灰が
降って、数時間あるいは半日くらいの後で襲って
きたらしい。つまり、2m近い火山灰をどうにか
生き残って、ポンペイを脱出しようとしていた市民
達に襲いかかっていた。




地下に居た50数名の住人達は、地上の火砕流
免れてはいたが、毒ガスを吸って、一人二人と
命を落としていた、という。



先ほどのハーキュリーズという街でも、海岸沿い
にあった船の化石とともに、100体近い人骨が
あったという。逃げ遅れて、火山噴火の翌日
に、船で脱出を試みた人たちの人骨だと言う。
ハーキュリーズでは夕方までほとんど火山灰は
降らず、逃げる余裕はあったが、家財道具や財産
を船で一緒に運び出そうとする豪族もいた。
彼らが、その海岸で犠牲になっている。
ハーキュリーズにベスビオス火山の火砕流
及んだのは、当日の深夜か、翌日の未明だと
いう。何故彼らが火砕流で亡くなったと判ったか
というと、彼らの骨にあった。骨の内部が茶色に
変色しており、一瞬で、高熱にさらされ死亡した
と推定できるらしい。イタリア人の考古学研究家、
解剖学者の所見だ。



イタリアのポンペイには、全世界から何百万人
の観光客が毎年押し寄せるという。
約2000年前の人類の生活、しかも、当時
最も裕福な生活が、そのまま残っている貴重な
文化財とも言え、イタリア政府は厳重に保護して
いる。



イタリア、ギリシャ、英国、一度は行ってみたい
ですな・・・・・