女房の実家の地域活動やら、PTAやら、運動競技会等で
 2日つぶれた。

 
 少子高齢化のせいで、首都圏と言えども、絶対的な生徒数
 が不足しているようで、父兄は、学校の活動の肩代わりを
 2重3重に背負い込んでいる。子供を持った親は、親バカ
 だから、何くれとなく、学校や地域の活動を、すすんで
 (本音は嫌々ながら)やってしまうのだろう。



 一言付け加えれば、年々子供の数は減っていくのだから、
 昔と同じ役職数、役職の仕事量では、成り立たないのは
 目に見えている。年よりは「自分もやってきたから」の
 一言で済まそうとするが、これもイケナイ。人がいない
 のに「どうしたいの?」って聞きたいくらいだ。


 
 この日記でも再三書いてきてるが、伝統を残したければ
 重荷を背負わせるのではなく、取捨選択し、この伝統は
 残す、この伝統は切る、という感覚で処理していかない
 と、自分たちの子供の世代に、不要な負担を強いるだけ。
 絶対的に、人数が足りてないんだから(大都市圏でも
 そうなりつつあるのだから)、指導する側、行政の側は
 何を残して何を削るか、早急に考えるべきだろう。



 教育改革を論じている人達は、教育の荒廃を、伝統
 に根づくものを廃止したからだ、と言う。一面正しいが、
 物理的に、伝統をバックアップできるシステムが破綻
 してる事に気づくべきだろう。


 
 昔の伝統ですばらしかったものも実際多いが、人数が
 足りて初めて機能する、という伝統も多かったのだ。



 今日は特別具体的には書かなかったが、少子高齢化
 が原因で、やれなくなっている事は、数知れない。
 これは、自分も含めて、よく肝に銘じておく必要が
 ある。少子高齢化を言い訳にはできないが、現状を
 しっかり認識する必要がある。特に40歳以上の
 人は。


 昔あった習慣(学校・地域・国レベル)で、何が
 良くて何が悪かったか。これから復活していい習慣、
 切捨てざるを得ない習慣。よく考えて、各レベルで
 草の根的に発信していかないと、日本の未来はそん
 ない明るいものではない、だろう。


 だけど今の学校は、PTAとかスポーツ少年団とか、
 運動会とか、なんで父兄を引っ張りまわすのか?
 先生もプリントを作ってきてアレコレ生徒にさせて
 いるが、細かすぎるとちゃう?って思ってしまう。


 学校と先生と生徒の間で完結出来ないものなの
 だろうか?