この日記ではいろいろ介護・認知症等、書いて
きたが、人間は忘れることで、先に進めるんだ
って思うね。


女房の父(故義父)が亡くなる数年前から、
精神状態の異常性を伴った痴呆が、悪化し、
ちょうど亡くなる数ヶ月前に、
女房が、「もう自宅で見るのは無理だ」と言った。


僕は、彼女を受け止めて話を聞いてたわけでは
なく、我々は、それでも恵まれていると言った事を
思い出す。恵まれているという事は、
十分な資産とキャッシュフローがあるという事
だが・・・・(資産を売って施設で見て頂く
オプションもあるという事。実際2人で、
一部、土地の処分に入る直前だった。)


女房は、泣きながら、どんなにか父親を恥ずか
しく思ったか、叔父さんが自分の父親だったら
良かったか、語って、2人で夜中に泣いたことも
あったわけだが・・・・


その後、嚥下性の肺炎で入院し、胃ロウも
付けられないまま義父は亡くなった。

病院に呼ばれて、亡くなった義父の顔を
見たのは、女房だけで、他の親戚は誰も
行かなかった。義母は脳梗塞を患った
ばかりだった。自分は、まだ小さい子供を
あやしながら、カミさんが、霊安室
から戻るのを待った。戻って、車中で、ひとしきり
泣いて、その後は、通夜でも告別式でも
彼女は泣かなかった。

(通夜と告別式でよく泣いた親戚は多
かったんだが・・・・・)


この日記でも再三書いたが、老人の通り
一遍の寿命じゃなくて、実働年数=倒れて
から、どの程度でお亡くなりになったか?
(どこまで生きられたか?)

倒れた後の入院日数や自宅
介護の年数が非常に重要な意味を持つ
数字。この数字は、国が毎年、調査
してもいい数字だね(やってるかも
しれないが・・)。病気別に詳しい資料を
作ってもいいくらいだ。これによって、
介護に掛かるさまざまな苦労が、
客観的にわかるから。仕事を持って
介護をしている人も、その仕事を
介護で失ってれば、実際、介護を
しなかった場合の得べかりし利益が
客観的に算出できる。

こういった数字を国レベルで、客観的に
算出して、マジな予算を組むべきであろう。
まずは介護にかかわる国政調査でしょう。
ここからマジに取り組んで欲しいね。


一つの介護が終わっても次がある。
背負い込む人は、人の分まで背負い込む。
アメリカが日本に言ってたが、
burden sharing
「責任の分担」というやつだが、逃げ回って
一生終えられる人と、そうじゃ
ない人。ここに歪な構造がある。



親戚一族郎党で面倒みましょうじゃなくて、
人生の入り口と出口は、オープン
スペースにし、国がある程度の
犠牲を払うべきだ。
自分も入り口と出口の、一番難しい
部分に金を使うと、国が収支報告を
公にするなら、30%の所得税も、
やむなしと思う。(かなり家計には
痛手だが、暗黒の介護地獄よりは
ましだろう)


介護については、国民的なコンセン
サスが、教育問題より急務だ。