1週間ほど中国広州、広西地方を旅行してきた。


初めての中国旅行で、本来なら、北京、上海、
大連、重慶などの主要都市を選ぶべきなのだが、
さすがに、今は真冬だし、南西地方の中国を
選んでしまった。



アメリカで大学に行ってた80年代に、エルパソ
サンディエゴから入った当時のメキシコと似てた。


広東・広西の地方都市、たとえば桂林市でも900
万人いるが、空港に入った瞬間、その独特な臭い
(豆板醤、鴨アヒルの焼肉臭、下水の臭い=スミ
マセン)が立ち込めていた。
メキシコの地方都市では、テキーラと、タコスと
下水の臭いであったが。今はどうか知りません。



一緒に旅行していた隣人の男性は、水が当たった
か、食事か、中川氏のように酒か、定かではないが、
ともかく、旅行視察の全日程、下痢をしていた(
キタナイ話でスミマセン)。



いろんな場所に行き、つたない中国語で、現地の
人たちとコミュニケーションして、感じたのは、
もちろん中国語での意思疎通の問題もあるが、
中国は大陸国家、彼らも純粋なアジア人では
ないという事である。



中国の地方都市で、現地の住民と一緒に(それでも
旅行者用の劇場)、少数民族の歌舞音曲の類を、
見せて頂いたのだが、僕は、ふと、30年近く前
テキサスのある町で、カントリーダンス(南部の
カントリーにあわせて男女で踊るダンス)を、
思い出してしまった。



何故?っていうと、その照明や舞台衣装装置の
使い方が、色鮮やかな原色で、ダンスも、
中国漢民族の踊りに、少数民族の特徴を兼ね
備えたもので、カントリーダンスに勝るとも
劣らない迫力である。劇場はビデオ撮影禁止で、
言葉で表現できないのですが・・・。



中国の歌踊りは、団体でする場合、実に手先・
足先の表現が華麗で、統制がよくとれている。
女性のスタイルも、畳で生活しないから、
腰の位置は、日本人より高い。それらこれらが
あいまって、非常に華麗に見えるのだろう。
また、あいまいな色を好まない国民性からか、
歌舞音曲で、とくにグループで踊る踊りは
コスチュームや照明が非常に美しい。
これはビデオ撮影できないので、現地でお金
を払って見て感じるしかない。



ダンスの話はこれくらいにして、
中国の大半は90%以上は漢民族らしいが、
確かに南西方面で出会う中国人は、
同じ中国人でも、えらく印象が違うなあ〜
って思う。ベトナム人、インド人、
フィリピン人、これらの人種でも通用する
中国人が大勢いる。



かなり広州から離れた農村部まで行ったが、
いわゆる明治時代の日本の風景がそこに
あった。川で洗濯、下水、上水も一緒。
入浴も川である。家は土の上にいきなり
レンガつくり。村の各家をつなぐ道路は、
立派である。大理石ではないが大きな石
を敷きつめてあった。聞くと、秦か漢の
時代にできた道路との事。
そのアンバランスさが見事である。
観光地でちょくちょく見かけたのは、
その階段・手すり・休憩所のいす等が、
大理石張りの重い石で作られてあった事。
日本との感覚の違いだろう。
日本なら、その辺はコストを下げる意味で
堅い新素材を使っているが、
中国は、広州でもあれだけマンションや
アパートが素人目に見ても潰れそう
なのに、公共の施設観光地には、とくに
不釣合いな高級感ある石を地面に敷きつめ
ている。石がまだいっぱい採れるっていう
ことかもしれない・・・・・。



話がかなり飛んでるが、ビジネス的に
言えばばまだまだ、中国のインフラを
整備するキャパ、そこに日本企業が入る余地
はある。あの潰れそうな広州市の家屋を
再建設するだけでも、どれだけの需要が
見込めるか不明だ。もちろん中国自身、
インフラ整備のお金を政府が拠出する
ことを決めたし、家のつくりは、中国自身
の問題。


日本サイドで言えば、どうすれば耐震性を
あげられるか、どうすれば工程を短縮した
建設ができるか、建設機材などなど、
側面から、日本の技術を使うことをすべき。
ここが一番の問題だろう。
問題は、中国人が、安全性や環境をどれほど
重視し、どれだけ金を、見えないものに
払えるか?である。


日本人はこういった、目に見えないソフト
に付加価値をつけて売る、そういう時代の
幕が、今回の金融危機で始まってしまった。



これは、ものを売るより難しい。
アメリカは他国を自国の文化に染め上げる
ことで、ハードとソフトの両面で、
第二次大戦後、その栄華を謳歌してきた。



中国人は、先ほど書いた歌舞音曲ではないが、
自分たちの方が美しいし、自分たちの
建築物のほうが優れていると、思っている
かもしれないし、実際、彼らが我々を
勝っている部分も数多くある。



環境・省エネ・安全・定刻運営等、彼らが
日本人のスタンダードを受け入れるか、
はなはだ疑問だが(実際かれらは日本の
ソフトを当面受け入れないであろう)、
もう日中戦争のようなごり押しの日本人に
なりなさいよ、とか、
高度成長期のような上から目線のOECD
も、通用しない。




ただ単純に、日本の明治時代の風景、
困難な生活の目の前で、工場からの
廃棄物が流れて住民が苦しんでいるなら、
日本の優れた脱公害技術(日本も同じ
経験で苦しんだんだから)を、何がしかの
付加価値をつけて、中国に、あるいは、
インドに貸すべきであろう。


その付加価値は、ただ単に金銭ではかれる
ものばかりでなく、人的交流も含めて
だが。



彼ら中国人が、日本のニッチな現代文化
をクールと言うまでには、かなりの
時間を必要とするが、まず、明治時代
から、現代に彼らを引き戻すことが
できるのは日本だけだと思う。
地理的・歴史的・経験的要素から言って・・



金融危機起爆剤などと肩肘張らず、
まずかの地中国の実情を知ることから。
都市部の開発より、ちょっと内陸にある
地方都市のインフラ・ソフトを整える
だけで、
経済性では、欧米には優位に立てる
だろう。



ただ、あくまで、選択は中国人にまかせ、
日本は政治下手なので、民間ビジネス、
大学、研究所から中国にアプローチ
する方がいい。



日本の政治下手を、揶揄する意見が
多いが、僕は政治下手で構わないと思う。
政治を捨てたから、類を見ない経済成長
を達成できたのだ。それは中国も同じ。
しょせんアメリカでも日本でも中国でも、
公的資金で補えるのは、当面の失業者の
失業手当ぐらいで、
民間が政治や国に期待してるようでは、
情けない。



インドにはまだ行ってませんが、
バイタリティーのある国を見てほっとし、
力を貰った旅行でした。