奇跡の村
載っていた。
この村は、1933年と50年前のチリ沖地震で、
津波のために、約2000人の方が犠牲になったという。
1960年当時の村長は、2回も津波の悲劇を繰り返したが、
3度目は絶対あってはならぬと、言って、
岩手県に掛けあって、高さ15.5m長さ200mの
水門と、高さ15.5mの防波堤を、数十年かかって
建設させたという。
のまれて亡くなったが、1000戸以上の普代村は
無傷だった、と言う。実際は、2つの15.5mの
防波堤を乗り越え、約1m近くの弱よわしい津波が
来た、との事だ。
いまはすでに亡くなった元村長のお墓には、
毎日、線香とお供え物が置かれている、そうだ。
自分が言いたいのは、ただ一つ。
腐った原発の処理も同じだが、「お金をかけろ。お金を捻出
できる時に、しっかりお金をかける。何にお金をかけるか、
何に使うかが、それぞれの国々、それぞれの国民の民度
なのだ。」と。
99の敗戦があっても、1つの勝利があったのは、
実にすばらしく、我々敗者は、勝者をきっちり学ばなくては
ならない。
東電も、想定外の津波だっていうのは、言い訳だぜ。
想定外を想定していた、ちっちゃな村があったのだ。
爪の垢でも飲んでろってことだ。